【傑作サスペンス映画】デビッドフィンチャー監督「セブン」 Seven, Se7en 【ネタバレあり・感想】

「セブン」は、デビッドフィンチャーが監督したサスペンス映画です。

ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、 グウィネス ・パルトロー 、
ケビン・スペイシーなどの豪華俳優陣が軒を連ねています。

キリスト教の「7つの大罪」をモチーフにした、実に奥が深いテーマになっています。

独自な視点で振り返っていきたいと思います。
一緒に見ていきましょう。

「7つの大罪」と「7つの徳目」は説教の道具

7つの大罪に見立てた残忍極まりない殺人が繰り返される。
殺人課のベテラン刑事と新人刑事のコンビが、一刻も早く
その殺人鬼を捕まえようとするのだが、、、。

出典 : セブン/Netflix(ネットフリックス)公式

キリスト教の宗派では、「大食い」を7つの大罪の一つと見なしています。
そして『 7つの大罪 』とは

Gluttony(大食い、無駄使い)
Greed(強欲、貪欲)
Sloth(怠惰、怠け者)
Envy(ねたみ)
Wrath(憤怒)
Pride(高慢)
Lust(肉欲、色欲)

です。

7つの大罪」にある根本にあるものは
”説教”である、とサマセット刑事は述べています。

犯人は
「○しを教訓にさせている」と続けて説明しています。

「大罪」は中世で説教に使われました。

「7つの大罪」と「7つの徳目」は説教の道具と言われます。

7つの徳目とは、

知恵、勇気、節制、正義、信仰、希望、愛

Wikipedia 引用

です。

7つの大罪」と「7つの徳目」をどのように結びつければ、
『 説教 』となるのかは、この記事の最後に
この作品の自分の”解釈”として述べたいと思います。

ジョン・ドウ(犯人)は印象的なコトバを残しています。
ラストの護送車のクルマの中で

「このすべてが終われば、結末(クライマックス)は
 ”人”には理解しにくいが、認めざるを得なくなる」

続けて
「みな神に滅ぼされたソドムの住民と同じだ」
と作品の中で発言しています。

ソドム(ヘブライ語:סדום、英語:Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、聖書に登場する都市。天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされ、後代の預言者たちが言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。また、悪徳や頽廃の代名詞としても知られる。

Wikipedia 引用

「ソドム」に関しては、とても興味深い(奥が深い)ので、

Wikiの参照をお願いします。

トレーシーとサマセット刑事の会話

トレーシーは、サマセット刑事に悩みを打ち明ける。

とても『センシティブ』な内容です。

トレーシーは言う

「ミルズ刑事との夫婦間のあいだで妊娠した」

「なぜ、それをわたしに?」サマセットは困惑する。

トレーシー「このまちで、知り合いがいない」

サマセットは話し出す。

「わたしも女性と暮らしていた」
「夫婦同然だった」
「やはり、子供ができた ずっと昔に」
「朝、いつものように出かける用意をしていた」
「いつものように、でも妊娠が頭の中にあった」
「そのとき、生まれて初めて”怖い”と思った」
「こう、思った」

「こんな世界に子供を?」
「こんなひどい世の中に子供を生むのかって」

「それで 彼女によそうと」
「それから数週間 彼女を説得した」

トレーシーは言う
「わたしは生みたいわ」

サマセット刑事は続ける「いま考えてみても、正直言って、、、」
「あの決断は間違っていなかった」

「だが1日として、違う決断をしてればと
 思わない日はない」

「もし、子供を産まないつもりなら
 妊娠は、内緒にしたほうがいい」

「だが、子供を生むのなら
 精一杯甘やかして育ててやれ」

このセリフが何年経っても、何十年かな?
個人的に印象に残っています。
「琴線に触れる」という言葉がありますが、
この表現が、適切かなと思います。

1995年にこの作品(セブン)が発表されてから、日本の人口が
徐々に右肩下がりになっています。


日本の総人口が約100年後、つまり今から2110年頃には
推定で4286万人と推計されています。
内閣府

サマセット刑事の”深い読み”が、
人口減少の「潮流」になっているのは考えすぎ(こじつけ)ですね^^;

日本の人口減少について、本サイトで要約しています。

人口減少【要約・感想】未来の年表 | 人口減少日本でこれから起きること【ビジネス書】

Envy(ねたみ)Wrath(憤怒)の同時履行の抗弁権

クライマックスでは、Envy(ねたみ)Wrath(憤怒)の両方を兼ね備えており
ミルズ刑事の
Wrath(憤怒)が試されていたが、
それに耐えられず、ピストルで射○した。

つまり、ジョン・ドウ(犯人側)の完全犯罪(7つの大罪)を成立させた。

ラスト(クライマックス)は、
同時履行の抗弁権」が根底に隠されているのでは?

と考察します。

それは、刑事側と犯人側の『人間の感情』に
それぞれ(ねたみと憤怒)が担保されています。
そして、犯人の(ねたみ)と刑事の(憤怒)が
同時履行の関係にあり
「抗弁権」が成立しうるのでは、というスタンスですね。

同時履行の抗弁権とは、双務契約の当事者の一方は、相手方がその債務の履行を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができるとする権利。双務契約には、当事者の公平を図るという観点から、一方の債務の履行と他方の債務の履行は互いに同時履行の関係に立つという履行上の牽連関係が認められるという点に根拠をもつ。

Wikipedia 引用

サマセット刑事は、ジョン・ドウを護送する途中で、君はキリスト教における「殉教者」とは思えない、と発言しました。

殉教者とは、
”自らの信仰のために命を失ったとみなされる者のこと”

Wikipedia引用

ラストに、ジョン・ドウは見事に「殉教者」(自己完結的や妄想的に)に
なったのかもしれないですね。


この作品から得られる情報を基に、総合的にまとめると、

キリスト教の「7つの大罪」を、犯人のジョン・ドウの心の内にある「7つの徳目」の中の、
強い妄想的な(正義、信仰心、慈愛)をベースにして、
大罪のなかにアウフヘーベンされている『 人間の根源 』を、
犯行(説教)というカタチで具現化させた。

という風な「個人的な解釈」になります。

ナレーションで、次のように流れます。

ヘミングウェイは述べている。

この世はすばらしい 
  戦う価値がある

あなたは、どのようにこの作品を解釈もしくは評価しますか?

まとめ

「セブン」の作品の内容や感想を、自分なりに考察してみました。

映画というのは「絵画」と似ていて、
100人いれば100通りのいろいろな解釈ができると思います。

だから映画は「エンターテイメント性」を備えており、
普遍的なのでは、と考えています。

「セブン」は現在(2021年8月)、いろいろなところで配信されています。

NetflixAmazonGYAO!YouTube

U-NEXT

など上記以外のところでも視聴できます。

是非、「セブン」の世界を堪能してください。

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